今までに放映された二階堂CMの全作品を、セリフつきで掲載します。
面白いのが、1991年以降に見られる、「白文字のワンポイント的な字幕が宣伝のエッセンスを伝える」というパターンの定着化。これを見るだけで、いろいろなことが想像されてくるものですね。
なお、CMのロケ地に関しては、二階堂酒造さんによるCM紹介のページにすべて掲載されておりますので、そちらをご覧ください。

タイトル 放映年 コマーシャル概要
「自然」篇 1987年 台詞 いつ、来れますか…?
いつ、逢えますか…?
いつ、話せますか…?
自然も、街も、人も、みんな、ゆっくり、もっと、ゆっくり…。
大分むぎ焼酎、二階堂。
解説ゆったりとしたBGM。雄大な自然を映したあと、自動車が行き交う夕暮れの街に切り替わる。「自然も、街も、人も、みんなゆっくり…」のせりふが味わい深い。第28回ACC地域CM部門優秀賞受賞。
字幕(後年定番化する白文字字幕ではない)「いつ、来れますか……。」
「いつ、逢えますか……。」
「いつ、話せますか……。」
「自然も、街も、人も、みんなゆっくり…」
「水の旅」篇 1988年 台詞人知れず、彷徨いながら、たゆたいながら、水は、おいしく磨かれていく。
大分の、おいしい水と出会って、私は麦だけの焼酎になる。
大分むぎ焼酎、二階堂。
解説山に浮かぶ霧から始まって、小川、滝−−−壮大なる水の旅をたどり、「水はおいしく磨かれていく」という台詞が入る。キラリと光る麦のシルエットがいい。字幕は特になし。第29回 ACC賞 地域CM部門優秀賞。
「街の夢」篇 1989年 台詞風の気持ちも、光の想いも、知っている。 すべてが隙間なく、 私の心に重なり合う。
街は今日も、ふるさとの夢を見ているのか…?
麦100%が、原点。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説商品のビンが、森をバックに、大都市(福岡市)のビルをバックに、猛スピードで飛んでゆく。そして長旅の最後、早回しに映される日没をバックに、ぴたりととまる。このリズム感が何ともいえずよい。字幕は特になし。
「刻のオブジェ」篇 1990年 台詞海から抜け出した魚たちが、今夜帰ってくる。
大地の上で、彼らは一体、どんな夢を見たのだろう。
聞こえてくるのは、魚たちの夢の話。彼らの夢を肴(さかな)に、今夜も…。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説海辺に佇む若い男性と、砂浜に落ちている古びた時計が映る。この男性が、海から帰ってくる魚を待って一杯飲む、という内容のナレーション。魚と肴をかけているのが面白い。字幕は特になし。第31回 ACC賞 地域CM部門奨励賞。
「森のオルガン」篇 1991年 台詞この星が生まれたばかりの頃、鳥たちはここで翔ぶことを学び、風は歌うことを学んだ。
ここで生まれて、ここにいる…。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説寂幕な森の中に佇むオルガンと木の机が映り、そして物悲しい三拍子のBGMが流れる。鳥たちはここで飛ぶことを学び、風は歌うことを覚えた、の台詞が印象的。
これ以後このコマーシャルの定番となる、白文字の字幕がスタート。第32回 ACC賞 地域CM部門優秀賞、第31回 福岡広告協会賞銀賞。
白文字の字幕人は誰も ここにくるたび 不思議な力を思い出す
ここで生まれてここにいる—
「私の道」篇 1992年 台詞風の道を辿って、旅は始まる。
忘れていた夢に出会い、見知らぬ刻(とき)に触れる。
私の旅は、終わりのない旅かもしれない。
風の道が、私の道。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説線路が映り、そしてすぐさま夜行列車の画面に切り替わる。この瞬間、ホ短調のBGMで四度上の和音(「ラドミ」、ね)が響くのだが、それと、夜行列車の汽笛の「ド ラ」の響きが偶然だろうか絶妙のハーモニーを生んでいて秀逸。中間部に登場する、赤と黒の傘の舞いも印象的。後半で映るのは海、そして部屋に無造作に転がるビン…。第33回 ACC賞 地域CM部門優秀賞。
「文士」篇 1993年 台詞東にいれば、西へゆきたい。春が来れば、冬が恋しい。
いたずらがんこに、生きてゆく。そんな時代がありました。
誰にも似ていない、誰にも辿れない。
麦100%が私の生き方。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説文筆家、坂口安吾の写真が登場する(勿論白黒)。ナレーション中の「いたずらがんこに、生きていく」というくだりそのままの、芯の強い表情だ。二階堂CMは、阿らない!ということか。(笑) 第34回 ACC賞 地域CM部門奨励賞。
白文字の字幕誰にも似ていない、誰にもたどれない。
「風の棲む街」篇 1994年 台詞その呟きは、やがて街に温もりを宿し、ため息は、懐かしい時間を映し出す。
風が、描く。刻(とき)を、描く。
私は、おいしい風を知っています。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説大きな坂を、かざぐるまを持って軽やかに走る子供。飛んでいく紙飛行機。温泉の湯煙。たなびく幟。そして、透きとおった、風を思わせるようなコーラスが神々しい。ずばり、私が一番気に入っているCMである。第35回 ACC賞 地域CM部門秀作賞。
白文字の字幕風を操るのは誰だろう。
「天文詩人」篇 1995年 台詞幾千、幾万光年の彼方から、星たちは、どんなメッセージを伝えようとしていたのだろう。
満天の星が、今宵も天文詩人たちを悩ませる。
いつも、新しい輝きと、新しい生命(いのち)。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説天文台とそこから見える満天の星、および人のいない古めかしい建物———小学校。詩的な世界が広がる。「幾千、幾万光年」など、歴代CMの中でも特にスケールの大きな作品だ。
白文字の字幕私のふるさとはこの星です。
「シネマグラス」篇 1996年 台詞探していた想い出に、人は、どこで追いつけるのだろう?
人はみな、帰るべき刻(とき)があり、辿りつく夢がある。
夢から覚めて、ここにいる。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説小さな古めかしい映画館、それに入り一人で映画に見入る男。思い出に浸っているのだろうか? 第37回 ACC賞 地域CM部門ACC賞。
白文字の字幕帰るべき刻と たどり着く夢…
「木登り」篇 1997年 台詞ただいま。
グラスに映るのは、本当の私です。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説白いドレスの女性が大きな木にのぼり始め、葉っぱの寝床でちょいと一杯、という、今までとは少し趣向を変えたコマーシャル。ナレーションも女性だ。「グラスに映るのは、本当の私です」の台詞が決め手。たまに、おやっと思わせる毛色の異なるCMがあるのも、二階堂CMの奥深さだろうと思う。
白文字の字幕心のふるさとにお帰りなさい。
「刻の迷路」篇 1998年 台詞風追い街、誘われ道。
置き去りにされた刻(とき)の迷路で、物語は今も続いている。
私の住処(すみか)は、ここにあります。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説古い街並みや、一人遊びをする子供たちの描写など、映像の配置が素晴らしい。(特に、忍者の格好をしておもちゃの刀を構える子供が面白い。(笑)) 最後に出てくる古本屋で主人公が本に挟まった映画のチケット(?)に見入っているところなどは、やっぱりこのCMなんだなぁと思う。あと、そのチケットを見入るシーンで何気なく視界に入る本が石川達三の「青春の蹉跌」なのが、心憎い演出といえよう。 個人的には、94年版「風の棲む街」の次に気に入っているCMである。第39回 ACC賞 TV-CM部門ACC賞。
なお、日本エレキテル連合の中野聡子さん(当ファンクラブ会員、ハンドルネームは「日本聡子」さん)による、モノローグ朗読の動画がある
白文字の字幕置き去りにされた 刻の迷路…
「旅人の車窓」篇 1999年 台詞生まれたばかりの風が、窓から飛び込んでくる。
旅人のほろ苦い後悔は、やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説チョコレート色のこれまた古めかしい列車が、かたんことんとゆっくり走っていく。(因みにJR小野田線らしい) 埃っぽい列車に差し込む陽光。旅情をかきたてる一品である。最後のカットで商品が網棚に乗っているのも面白い。
白文字の字幕たどるのは風の道 誘うのは刻の余韻
「風の海峡」篇 2000年 台詞確かな言葉は、誰も、持っていませんでした。
海 渡る。風 渡る。
懐かしさは、不思議な力を持っています。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説郷愁に彩られた海峡と、語りかけるような変ホ短調BGMがマッチしていて心地よい。男性に寄り添う女性の手や、海峡での別れぎわに映る女性のシルエット...様々なシーンが様々な想像を掻き立て、物悲しさ、切なさとなって心を打つ。
94年版「風の棲む街」に続く、好きなCM。
白文字の字幕海峡は———夢の足跡でいっぱいでした。
「雨宿り」篇 2001年 台詞刻(とき)の我侭に流されて、私は、記憶の海に辿りつく。
ふるさとは、私の中に流れています。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説コートを着た男が、一人雨宿りをしている。ふと彼の脳裏によぎったのは、昔の想い出。———雨に濡れたる女学生の姿だった…。何があったのだろう? そして後半の、雨上がりのシーンが何とも爽やかで美しい。前半後半の対比を楽しむCMということか?(笑)
白文字の字幕雨が連れてきた想いは、どこへ流れていくのだろう。
「父」篇 2002年 台詞私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる。
あの頃、あなたが口にしなかったことばに、いつか私は、たどり着くのだろうか…?
ずっと、麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説「父親」という、かなり具体的なモチーフを用いつつ、謎めいたセリフがさまざまな想像を可能にしている。主人公は、成長した今の自分を知ることなくして亡くなってしまったであろう父親と、まさに今、遥かなる時空を超えてすれ違う…。「Brand of the year 2003 消費者が選んだ今年のCM好感度ベスト1000銘柄」入賞(988位)。
なお、この「父」篇の制作過程の裏話を、当時の広告代理店担当者様がエッセイとしてまとめられている。ご本人の許可のもと、エッセイ全文をここに掲載する。このエッセイは、大阪アドバタイジングエージェンシーズ協会主催「第8回広告エッセイ大賞」にて、審査委員特別賞を受賞している。
白文字の字幕私の知らない父と 父の知らない私が 坂の途中ですれ違う。
「遠い憧れ」篇 2003年 台詞錆びついていた時計が、再び時を刻みはじめた。
縺(もつ)れた糸はほどけ出し、古びた迷路は、ひとすじの道になる。
麦100%は、私のふるさと。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説バレエ教室の美しい少女を、外から眺めている少年。…そう、誰もが一度は経験したことがあるだろう、幼いころの甘酸っぱい初恋である。場末の小さな店で、そんな思い出を肴にちょいと一杯呑んでいる、男の背中。何だか、文学的な薫りを感じる。(笑) 第43回福岡広告協会賞TVCM(16秒以上)部門銅賞。
白文字の字幕囁きかけるのは、遠き日の憧れか…
「詩人の島」篇 2004年 台詞水平線をひいたのは、空があまりにも空だったから。
夜空に星をまいたのは、地球という星を忘れそうだったから。
私は、私のままでここにいる。
そして、麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説 洋上にぽつんと浮かんだ小さな島で、今日も、その男は一人ぼっちで気ままに暮らしている。海と空に心を洗われ、無限の宇宙に想いを馳せながら…。孤独なる隠遁者という点ではシャミッソー著「影をなくした男」と同じようなモチーフだが、暗さよりも、すっきりとした後味が残る。なお、放映開始数ヶ月後、BGMが変更になっている。第44回福岡広告協会賞TVCM(16秒以上)部門銀賞。
白文字の字幕きのう見た波は、いつかここに還ってくる。
「砂丘の図書館」篇 2005年 台詞「夢を持て」と励まされ、「夢を見るな」と笑われる。
ふくらんで、やぶれて、近づいて、遠ざかって…。
今日も、夢の中で目を覚ます。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説想い出や郷愁を語るというところでは今までのCMと共通しているが、演出のシュールさが特筆すべき点。砂丘に積み上げられた子供時代の思い出の品の数々から、懐かしさに浸るというよりも、懐かしさの混沌の中へと引き込まれるような錯覚を覚える。迷いながら、悩みながら、現在を懐かしさの混沌の彼方へと置き去りにしていく人々の魂の叫びこそが、白文字の字幕に記されているのかもしれない。
なお、作中で朗読されている詩は、「風とらんぷ」という詩集からとった、「空のディレクターたち」という詩だそう。
白文字の字幕人生に、答えは必要ですか
「未知の力」篇 2006年 台詞逆らいながら、奪われて、
流されながら、見失う。
誰もが、その戸惑いの中から、学ぶのだ。
嗚呼…、本当の私に帰ってゆきます。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説まさに初期の二階堂CMに回帰したかのような、“水の旅”の性格を帯びたCMといえるかも。ダム、水道橋、虹色に彩られたコンクリートを流れゆく水。そして、仄暗いプールに一人佇む神秘的な少女。想い出か、憧れか。めぐりゆく水の旅に、めぐりゆく人生を映し出し、そして自らを見つめなおす…。
白文字の字幕そこから 未知の力が 湧き出している。
「文字のかけら」篇 2007年 台詞イエスとノー。その二つの間には、何もないのだろうか。
筆を走らせたのは、宙ぶらりんの想いでした。
想いのかけらは朽ちることなく、ざわざわと心を揺らします。
私はまっすぐ麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説タイトルのとおり、文字をふんだんに使った演出が特徴的なCM。今までは風景やオブジェが主だったため、それだけ斬新である。心の中に生き続ける想い出のかけらたち、もう目に見えるかたち(文字)にはしておきたくないのだ。ずっと、ずっと、自分の心の中だけのもの。そう、大切なことは目に見えないのである。(by アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)
なお私には、冒頭の「イエスとノー」の言葉が、とても官能的に響いて、英語なのにフランス語のようにも聴こえた。学生の頃観た白黒のフランス映画をふっと想い出した(笑)。
白文字の字幕時代という言葉が 少し耳ざわりです。
「消えた足跡」篇 2008年 台詞近道は、遠回り。
急ぐほどに、足をとられる。
始まりと終わりを直線で結べない道が、この世にはあります。
迷った道が、私の道です。
大分むぎ焼酎、二階堂。
解説今までと比較して登場人物が多い。修行僧、アイスクリーム屋(?)、そして、主人公の幼馴染や家族らしき面々。若き日に郷里を後にした主人公が郷里に帰って見たものは、変わらないところと、変わったところ両方なのだろうか。昔と変わらぬ面影を残した小路、潮の流れに飲み込まれた小路。時の流れは常に二面性を持ちつつ、想い出や後悔もろとも、人々を飲み込んでいく。
白文字の字幕一生に何回 後悔できるだろう。
「大地のささやき」篇 2009年 台詞言葉の海から救い出した結晶は、やがて、儚く消えた。
永遠のような一瞬。音のないメロディ。
大地の記憶は、今日も、囁いてくれるだろうか。
大分むぎ焼酎、二階堂。
解説大自然に生きる静かなる求道者を描いた点では、ある意味「詩人の島」篇と共通している。遥かなる時空を超えて語りかけてくる宝石たちに囲まれ、ひっそりと、しかし着実に、旅人は今日も我が道を踏みしめてゆくのだ。それがたとえ、終わりのない旅だとわかっていても。エッセンスを伝える白文字の字幕とはまた別の、宮沢賢治を思わせるような謎めいた字幕も、様々な想像をかきたてずにはおかない。なお、2010年4月頃より放送を休止中で、代わりに「消えた足跡」篇が放映されている。CMの映像に関して視聴者からの指摘があったため自主的に休止とした、とのこと。
白文字の字幕未完成のまま 生きていく。
「空に憧れた日々」篇 2010年 台詞今でも、空に憧れた日々を思い出す。
教科書も、地図も、とうに失ってしまった。
僕の一日が、僕の一生が、空っぽでありませんように。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説船や海がキーポイントという点で2000年の「風の海峡」篇と類似するが、こちらは風の海峡篇よりも「別れ」を強調している印象。進学のため親元を離れる人や、向こう岸の家へ嫁いでいく人など、様々な人たちが思い思いに別れを告げる。そして海はいつもその変わらぬ姿で、粛々と彼ら/彼女らを送りゆくのだ。別れの寂しさを堪えたいとき、人は敢えて振り返らず生きていくのかもしれないが、どんなに振り返るまいとしていても、ときには振り返るものなのだろう。そして、それでよいのだろう。(「はしだのりひことシューベルツ」が歌っている「風」という歌にも、似たような記述があったような。(笑))
白文字の字幕続きのない夢は、また僕をひとりにする。
「黄昏の想い出」篇 2011年 台詞あの頃の私に出会えたら、どんな言葉をかけよう。
深呼吸して、前を向く。
降り積もった日々が、私の背中を、強く押します。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説震災に伴い、CMの内容を考慮して再作成されたCM。放映期間は2011年4月頃〜10月初旬頃。
今までに撮影されたシーンを再編集して作成されたものであるため、これまでに見かけた(ような)シーンが散在。そういう意味では、一回の視聴で数回分の二階堂CMを味わえる、隠れた名作というべきか。(笑) 白文字の字幕には、恐らく震災を考慮したのであろう、強いメッセージ性がある。
白文字の字幕望むから、希望になる。
「ふりかえると明日(あした)」篇 2011年 台詞思えば、守れない約束ばかりだった。
会いたい人と会えない人、風の便りは、いつも風向き次第。
どうか、タイムマシンが、発明されませんように。
目を閉じるだけで、十分です。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説学校という場所に特化したストーリー仕立て。同窓会の会場かと思われるシーンもあるが、基本的に学校内のシーンが多く使われている。「懐かしいけど実際に戻りたくはない、思い出は思い出のままであってほしいものなんだ」ということを再認識させるという、ある意味明確なメッセージ性を持ったCMと言えるかも。幾通りもの意味に取れるような言い回しや、シュールな映像表現などは使わず、ど真ん中へ直球、といったところ。
あと、これまでのCMに見られなかった点がある。それは、最後の決まり文句「大分むぎ焼酎、二階堂」のあとに、余韻のカットがあること。「・・・・・・」の白文字字幕とともに、電車が発車するシーンがそれ。ここ数年のCMの定石?からすると意表を突かれ、はっとするものがある。なお、白文字の字幕の総数も4つと多い。
白文字の字幕「はじめまして・・」
明日を夢見た場所。未来を語った時間。
「ありがとう・・」
「・・・・・・」
「昭和の母」篇 2012年 台詞手触りも、温もりも、今では失われたパズルのかけらのよう。
未来と引き換えに、奪われてしまった。
雨曝しの記憶の中で、鮮やかに甦る人がいます。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説ちょうど10年前にはズバリ「父」篇だったが、今度は「母」である。せりふから察するに、主人公の母はもうこの世にはいないのであろう。「父」篇のときよりも、主人公のために身を粉にして働く姿に焦点が置かれており、それがまた美しくも切ない。幼いころ乗ったあの観覧車にもう一度乗ったら、ひょっとすると、どこかに姿が見えないだろうか。
なお、最後の決め台詞「大分むぎ焼酎、二階堂。」の直後も、短時間ながら映像が続く(ぜんまい時計を巻くシーン)。これは「ふりかえると明日(あした)」篇でもそうだった。定番化なるか?
白文字の字幕人には、大きな心残りがひとつあります。
「心を刻む線」篇 2013年 台詞泣いた、笑った、名もなき日々。
ため息を知らない私が、そこにはいました。
楽しかった想い出が、今では頬を伝います。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説2011年版と同じく学校生活が舞台だが、タイトルのとおり、「書く」ということが主役。昔ながらの文房具屋さんの店先、短くなるまで使いこんだ鉛筆などが、走馬灯のように駆け巡る。そういえばあの頃は、気ままに、無邪気に、好きな未来を書(描)いたものだ…。
今までのCMに比してやや異色なのはBGMであり、長調で爽やかな印象。白文字の字幕は一つだけ、最後の伸ばしは特になしで定番化ならず。
白文字の字幕明日はいつも明るく、未来はまだ眩しかった。
「心をつなぐ-春夏-」篇篇 2014年 台詞昔、憧れた大人は、いつも映画と小説の中にいた。
精悍な顔つき。少しキザな台詞。たまに見せる子どものような無邪気さ。
今日も、あの頃のように、古い映画の話でもしながら盛り上がろうか。
飲みたい人は、会いたい人です。
大分むぎ焼酎、二階堂。
解説森の中で、一人で淡々と食事の準備をする男性。そう、今日は久しぶりに旧友と会う日だ。玄関からピンポーンの音が聞こえた。「やあ、よく来たね!今日はゆっくりしよう」。
ストーリーとしてはこのように「懐かしさ」を前面に押し出しているのだが、今までのCMとは異なる点が多い。(大広株式会社様によると、スポーツ番組等の枠で流すために製作された、いわば特別なバージョンとのこと。) まず、主人公の男性の顔がはっきり拝見できる。そして、全体的に映像が明るく、爽やかな印象。いい意味での「暗さ」があまりない。今までのCMの路線が好きだったのに...という人もいるかもしれないが、たまにはこのような路線変更があってもよいかも。そういえば、1997年は何と女性が主人公だったこともあるし。また女性を主人公にするなら、今度はどんなCMになるか楽しみなところ。(笑) なお、白文字の字幕は特にひねりがなく、「飲みたい人は、会いたい人です」という台詞とほぼ同タイミングで表示。
白文字の字幕飲みたい人は、会いたい人。
「心をつなぐ-秋冬-」篇 台詞遠足の日より、前の日の夜が好きでした。
わくわくとうきうきを、リュックに詰めたり、ひっくり返したりして。
先にある楽しみを想像すると、思わず、嬉しくなってくる。
私は昔からそうでした。
今日も、楽しく呑めそうです。
飲みたい人、それは、会いたい人です。
大分むぎ焼酎、二階堂。
解説このCMに先立つ春夏篇(上記)で「女性が主人公なら...」と書いていたら、まさにその通りとなった。(笑) CM製作者のかたがこのサイトを意識してくださったのだろうか?...そんなことはないか。
前回同様、スポーツ番組などで放送する特別バージョン。映像は暗めだが音楽は明るく爽やかで、ミスマッチかと思いきやしっくり来る。日が短くなってくる季節を感じさせる、粋な演出。
そして主人公は女性、いわゆる「女子会」をこれから開くのだろう。「和テイスト」の内装や小物がいい味出しており、女性の表情の明るさ、屈託のない笑顔がいい。白文字字幕は、同様に特にひねりがなく、「飲みたい人、それは、会いたい人です」とほぼ同タイミング。
白文字の字幕飲みたい人は、会いたい人。
「夢で逢いましょう」篇 2014年 台詞あの日から遠ざかるほど、あなたに逢いたくなる。
いくつもの色が重なり合い、やがてモノクロームになった日。
甘く、ほろ苦い・・・。
すべてが刻まれた場所を、教えてほしい。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説冒頭からどきっとさせてくれる。男性と女性がすれ違いざまに、ちょっと気まずそうに振る舞う。一瞬のうちに、涌き上がり、交錯する、それぞれの想い。
たくさんの想い出はあれど、別の道を歩むことにした二人。その後新しい人と共に暮らしても、あの日の想いは、消えることはない。胸にしまっておこうと思っても、ときどき...。
シンプルなBGMは、そんな想いを、ぽつり、ぽつりと語り始めるさまを思わせる。映像と音楽が実によくマッチしていると思う。
個人的には、ここ10年ほどで、一番じーんと来た作品。因みに全作品中で私がベストと思っているのは1994年「風の棲む街」篇、これを超えるものを待っています!☆
白文字の字幕一歩進むと一歩遠ざかり、あの日がよみがえる。
「孤独の風」篇 2015年 台詞なぜ、この道を歩いて来たのか・・・
目を閉じて、見つめる。
立ち止まったまま、遠くへ旅立つ。
誰かのためではなく、自分のためでもなく・・・
何かひとつ、あなたの心に残したい。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説モチーフがはっきりしている。縦糸がタイトル通り孤独、そして横糸が描くという行為。孤独の言葉通り登場人物はただ1人、年配の男性。顔がはっきり映る。鬱蒼とした森などの描写は、ロシア的な雰囲気を感じさせる。人はみな、孤独のなかでも、いつしか人との繋がりを求め、何かを残したいと考えるものだ…。思わずしんみりせざるをえない。なお白文字の字幕は、CMのコンセプトに沿っていながらもすっきりした印象を受ける。何だか、暗いようで、明るいのだから不思議。(笑)
白文字の字幕完成もなければ、後悔もない。ただ、描き続ける。
「還っていく夢」篇 2016年 台詞揺れている小さな影は、もう1人の私だ。
夢に気づいたのは、メトロノームが止まった瞬間。
錆びた線路は、あの日に続いているだろうか...。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説冒頭から、様々な動く人形たちが登場。少年時代の、揺らめく繊細な心を表しているのだろうか。BGMを奏でているポルトガルギター&マンドリンのデュオ「マリオネット」とかけているのかもしれない。最後から2番目のシーンでは、掛け時計の音とともに人形はすっと消えゆく。何だかどきっとさせる。そして最後のシーンで漸く、帽子とコートの男が登場。路線としては、1992年版「私の道」篇に近いかも。昔からの路線を踏襲する年もあれば新たな境地を切り開き驚かせてくれる年もあって、このバランス感が個人的には好きだし、製作スタッフの皆様にはただただ感謝。なお、商品紹介のCMだけでなく企業紹介のCMも同時公開されており、人形の種類が異なったり帽子コートの男が登場しないなど若干の差異がある。
マリオネットは、ここ3年連続でBGMを奏でており、定着なるか? 動く人形たちは、前田昌良さんによる製作であり、単行本が購入できる。(2016/12現在)
白文字の字幕心の中で吹く風は、私をあの日へと連れて行く。
「島影の詩(うた)」篇 2017年 台詞まばゆい夢を抱いて、海を渡ったあの日。
変わらない手触り、息遣いが、今では、胸で漣を立てる。
潮風に、微かなインクの匂いがした。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説まず、映像美にはっとさせられる。セリフにもある「息遣い」がまさしく伝わってくる。テーマである「島」は、船を使えばすぐに描けそうなところあえて船を使うことなく、所々に写る海辺や、終盤の漣の音色で表現している。いやあ、にくい。(笑) そしてその漣、よく見るとなんと、最後から2番目のシーン、小学校の教室の片隅に重畳されている。こんな小技も、いろいろな想像を掻き立てる。なお帽子とコートの男は、階段を登るシーンで一瞬だけ登場。音楽は、マリオネットが4年連続とはならず、ライブラリー音源。映像美に寄り添うような、語りかける音色を聴くと、ああ、このCMのファンでよかったと改めて思う。(笑)
白文字の字幕離れるほど、私に近づいてくる。
「人生の特別な一瞬」篇 2017年 台詞「鮮やかに思い出されるのは、いつも、ありふれた風景だ。
何気ない風景にこそ、旅する私が、映し出される。
人生が旅なら、今日も、明日も、小さな旅だ。」
詩人、長田弘は、こう書きました。
好きな焼酎を口に含むと、心が揺らいできて、好きな風景が不意に浮かんでくる。いい旅をしたくなる。
今日も、グラス一杯の、旅に出る。
大分むぎ焼酎、二階堂。
解説例年とはテイストの異なる、60秒版のCM。おだやかなジャズの音色に乗せて、主人公(初老男性、顔ははっきり写る)がカメラ片手に様々な場所を散歩していく。合間合間に登場する、訪れて写したのであろう写真を散りばめたカットが、いい味出している。そして少し意表を突かれたのは、最後から2番目のカットにて、ズバリ飛行機の翼が映ること。これからはもっともっと遠出するぞ、ということだろうか?!(笑) なお、2017年10月時点で、地上波での放送はなく、BS-TBSの「美しい日本に出会う旅(毎週水曜20時)」にてオンエアされている。長田弘の詩「人生の特別な一瞬」はここで入手可能
白文字の字幕遠い朧な記憶を、澄んだ透明な時間にしてしまう。
「伝え合う力」篇 2018年 台詞それは、眠らない花びらのようだ。
ねじを巻きながら、時代を巻き戻し、月明かりすら照らさない場所で、そっと咲いている。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説歯車がモチーフの作品。歯車は、単独ではただ回転するしかできないけれど、複数が噛み合うことで遠くまで確実に力を伝えられる———タイトルが「伝え合う力」たる所以だろう。
炭坑(帽子とコートの男がここで少しだけ登場)、玩具、腕時計など、大小様々な歯車が登場し、静かだがしっかりと動く。そう、世の中を動かしているのは、日の当たらないところで地味ながらも一生懸命に生きる、一人一人なのだ...そんな力強いメッセージが聞こえてきそう。映像の基調の暗さとは対照的に、受ける印象は明るく、芯の強さ、前向きさが感じられる。白文字の字幕にもある「美しい秘密」とは、最終的な動力(例えば時計なら針の動作)に至るまでに織りなされる、技術の粋だろうか。やがて世の中を動かすに至る、人と人との協力関係だろうか。
因みに、たくさんの歯車が噛み合うシーンをみると、個人的にはアンティキティラ島の機械を思い出す。紀元前に、これほどの歯車の技術があったというのは俄には信じがたいのと同時に、技術が後世に伝わらなかったことが悔やまれてならない。
白文字の字幕美しい秘密が 世界を 動かしている。
「本を読む人々」篇 2019年 台詞いつの間にか、つぶやきすら大声になってしまった。
出口のない喧騒の中で、沈黙だけが、語りかける。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説今までのCMからすると、大胆な異色作といえる。まず、冒頭の野太い男性ヴォーカルには驚かされる。そして、低音を基調としたスイング感溢れるメロディがずっと続くのだ。映像面も、これまでのようにノスタルジアを感じさせるカットももちろん多い一方で、現代的な建造物もどんどん出てくる。そんな斬新な演出の中で描かれるのは、昔ながらの、じっくり読書に耽る人たち。「つぶやきすら大声になってしまった」というせりふは、現代の、情報化された忙しいネット社会を表しているのかもしれない。(そういえば、「つぶやき」...これもtwitterのことを指しているようにも思える。) 慌ただしく騒がしい、ネット中心の生活へのアンチテエゼを感じるとしたら穿ち過ぎだろうか。それにしても、最後のシーンが、今までの二階堂CMでおなじみの「高い山から見下ろした風景」に戻ってくるという演出、ほんと憎いねぇ。(笑) なお、「還っていく夢」篇同様に、商品紹介のCMだけでなく企業紹介のCMも同時公開されており、カットに若干の差異あり。
白文字の字幕沈黙の一行が、明日の一歩になる。
「記憶の結晶」篇 2020年 台詞風の歌で眠り、雨の囁きで、目覚めた。
残されたのは、記憶をノックする匂い。
行き場の無い記憶を、三日月だけが、照らしている。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説音楽については、前年のような奇を衒ったところは少なく、これまでの二階堂CM路線に戻った印象。そんな中、映像面の特筆するべきキーワードは「茶色」「金属」だろうか。次々に出てくるオブジェは、どれもこれも、金属かつ茶色系統が多いのである。ここまでくると、錆びて朽ちた金属たちが、台詞の通りに、匂いを連想させるのだ。実際にテレビ(やパソコンやスマホ?)から匂ってくることはないけれども。ふと、ここで気が付いた。私自身大いに経験があるのだが、みなさんも、匂いから一気に記憶が呼び覚まされたり懐かしい気分に浸ったりしたことはないだろうか? 匂いを司る嗅覚は、視覚や聴覚とは異なり扁桃体と海馬という記憶と感情を処理する部位に接続されており、匂いが痛切に記憶を呼び覚ますことは別段不思議ではないらしいのだ。姿形と音だけでなく、もうひとつの感覚も副次的に用いて語りかける、いやはやうまいところを突いてきたものだと思う。そしてラストシーンにて、今までの集大成のように、ずばり茶色で埋め尽くす、まさしくニクイ演出。みなさんの、「記憶をノックする匂い」は何でしょうか? (ちなみに私は、幼稚園の下駄箱近くの、生乾きセメントの匂いです。(笑))
白文字の字幕夕暮れ色の沈黙は、今も輝く。
「一人の時間・日常」篇 2021年 台詞新しいのか、古いのか。
自分の生き方を、そんなものさしではかったことはないが、
私は、どうやら古い人間らしい。
確かに、身の回りは、しっくり馴染むものばかり。
手触りのあるものしか、信じられない。
心のおもむくままに、過ごしていく。
私はどこまで行っても、アナログ人間だ。
今日も焼酎と二人きり。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説2014年同様の、「特別版CM」2種類のうち1つである。主人公の男性の顔ははっきり映り、全体的に雰囲気は明るい。
そして、タイトルは「一人の時間」と具体的である。日常は日常でも、追い立てられるような慌ただしい日常ではなく、手触り感のある、昔ながらのほっとする日常が描かれるのだ。居間に佇むところから始まり、映画館、図書館、喫茶店、美術館、陶器の店、魚屋さん、豆腐やさん、銭湯。ここで描かれる日常が、この忙しく不安定な現代でいかに貴重なことか、というメッセージかもしれない。
1日の締めくくりは、自宅に帰って一杯。やはりこれがなくちゃね!(笑)
白文字の字幕焼酎と二人きり。
「一人の時間・旅」篇 2021年 台詞あれも、これもと、欲張ることをやめる。
シンプルで、飾り気のない日々を生きる。
肩書きの無い自分になる。
歳を重ねると、足し算より、引き算がいい。
群れない。騒がない。一人の時間が、大人を楽しくする。
今日も焼酎と二人きり。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説「特別版CM」のうちもう1つであり、小さな一人旅を描いたもの。時刻表を調べ、佐賀行きの鈍行列車に乗るところから始まる---のだが、乗った車内でこのような飲み方をするとは何ともしぶい!(笑) ちょっとやってみたい。
気ままなひとり旅、ひとりご飯、そしてひとりで呑む焼酎。こんなひとり時間の似合う人間になりたい、と思わせてくれる。「欲張ることをやめる」「肩書きの無い自分になる」という言葉に、特にぐっとくる。
白文字の字幕焼酎と二人きり。
「夢の奥へ」篇 2021年 台詞あの日の自分も、うつろう未来も、
ここで出会える。
見覚えのある眼差しが、
心を覗き込んでいるようだ。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
解説シュールなおかつ大胆な演出が光る。2005年「砂丘の図書館」もシュールだったけど、この作品はより「どきっとさせる」作品ではなかろうか。キーワードはわかりやすく「鏡」なのだが、森の中に配置された斜めの合わせ鏡、主人公?である女性の仕草、そしてラストシーンの割れた鏡といったら!!(汗) ほかにも、女性が口髭をとる、女学生の制服に鏡の反射光が当たる(そして動いていく)などの謎めいたシーンが続き、そして我らが(?)帽子とコートの男はというと、さながらルネ・マグリットの絵に入り込んだかのよう。妖しさと不思議さが入り混じったこの作品のタイトルはずばり「夢の奥へ」であり、夢や想い出を超越した世界を描いているのだろうか。音楽面も、冒頭の音からは調性が不明瞭であり、これまたどきっとさせる。ロ短調に収斂していき、語りかけるような曲想になっていくころに、長いような短いような30秒間が終わる。ああ、もう少しこの世界に浸りたい...。(笑)
なお、商品紹介のCMだけでなく企業紹介のCMも同時公開されており、カットに若干の差異がある。
白文字の字幕夢よりも 不思議な時間が 眠っている。


2002年「父」篇制作秘話−−広告代理店担当者様のエッセイ全文:


「あの頃、父が口にしなかった言葉」 大阪府大阪市 橋本 亮介

実は今働いている会社の面接のことを、僕は全く覚えていない。
面接の前日、父が亡くなった。
通夜や葬式を理由に何とか面接日をずらしていただいたのだが、
真っ白の精神状態で、面接どころではなくなってしまっていた、というのが、本当のところだ。
ずらしていただいた面接日も葬式の翌日、
父の死を、まだ実感として受け止められず、喉に詰まったまま飲み込めずに、いたのだろう、
ぼーっとして降りる駅を通り過ぎ、面接時間ギリギリになったことくらいしか、
いくら思い出そうとしても、出てこないのだ。
内定後の研修で、その面接に同席していたらしい同期社員に、
「あんな暗いやつが内定するとは思わなかった」と言われた。
その頃の自分は、どちらかというとお調子者だという自覚があったので、
その言葉には、随分びっくりしたが、
面接でその同期と同席したことすら思い出せなかった記憶がある。

とにもかくにも、なんとか社員になれた僕は、広告制作の仕事に携わるようになった。
TVCM、ラジオCM、いわゆる電波媒体の企画制作が主な業務だった。
広告制作者として、若い頃は、「人をびっくりさせる」ことを目標に、
新奇なもの、見たこともないようなものを制作しようと思っていた気がする。
何しろ大阪の広告会社だ。師匠から教えられたのは、
困ったときは「歌って、踊って、かぶりもの」だったのだから。
できるだけ多くの人に自分の携わった広告に触れてもらって、
話題になりたい、と思っていた。

しかし年齢とともに、「自分の中にあるものでなければ、本当に人の心を打つことはできないのだなあ」、
ということを実感して、自分を見つめることから広告を制作したい、
という気持ちが高まってきた。
広告としては、多くの人に届けば、それにこしたことはないのだが、
僕個人としては、少人数で構わないので、
その人の心に深く届くような広告が作ってみたいと思うようになった。
その方が、より深い意味での広告効果も生まれてくる、という信念もあった。

ちょうどそんなことを考えていた40歳を迎える直前、福岡への転勤が決まった。
生まれてから40年間、関西以外で住所を持ったことのない人間としては、
海まで隔てた地で暮らすことに多少の不安はあったが、
福岡は、伝統的に日本のフロントラインだったからだろうか、
よその人間を県内出身者と区別することなく、温かく迎え入れてくれた。
おまけに何を食べてもうまい。
それまで食べられなかった鶏肉が大好物になったのも、福岡に転勤してからだ。

そこで、僕は、ひとつのクライアントを担当させていただくこととなる。
「大分むぎ焼酎二階堂」。
大阪でもオンエアはしていたので「なにやら独特の風合いの文学的なTVCMを作っているなあ」と気にはなっていた。
そのCMを企画することになったのだ。果たして、自分の中にそういう要素があるのだろうか。
今までとは全く違う広告の企画制作に戸惑いはあったが、
逆に「自分と向き合うこと、自分の中に何があるのかじっくり自分と対話して企画する」またとないチャンスであるとも、思えた。

果たして、二階堂のCM企画は今までのものとは、全く違っていた。
年々スピードが要求される時代において、頑ななまでに時間をかける。
2〜3ヶ月かけて企画をまとめていく仕事なんて、やったことも、聞いたこともなかった。
僕以外はこの仕事を何年もやっているベテランスタッフ。
特に監督の清水さんは、20年近くずっと企画・演出をされている、という大ベテランだ。
そのベテランスタッフたちと、まずは、この一年、どんなことに心を動かされたのか、
どんな光景を美しいと思ったのか、その光景はどんな思い出につながっているのか、
など、直接的には、CMに繋がらないかもしれないことを話すことから始まった。
時には、角打ち(福岡では立呑屋のことを「角打ち」という)に場所を移して、
商品調査という名目で、二階堂をグラスに注ぎながら。

二階堂のブランドコンセプトは「初めてなのに懐かしい」。
そのコンセプトを心のどこかに持ちながら、絵でもコピーでも思い出話でもいいから、
とにかく思いつくまま、出し合った。
その中で、僕の書いた「私の知らない父と、父の知らない私が、坂の途中ですれ違う。」というコピーを清水監督が取り上げた。
何かが、監督の中でカチッと音を立てたようだ。
僕と父との思い出話を次々と引き出し、二階堂の世界を重ね合わせて、シーンを紡いでいく。
そう、それはまさに糸を紡いで、一反の布を織り上げるような作業だった。

僕の父は大学の先生だった。家にいるときも書斎に篭って、座卓に向きっぱなしで
背中を向けていることが多かった。
母も働いていたので、その頃には珍しく我が家は、母より父の方が家にいる時間の長い家庭だった。
たまに、父の大学に連れて行かれると、学生と話をする普段とは違う父の姿に驚いたものだった。
そんな話が、清水監督の気になっていた福岡県志免の鉱業所竪坑櫓の特異な建物のシルエットと重なって、ナレーションにこそ出てこないものの、主人公は炭鉱技師とその子供の少年と決まった。
その設定で、シーンを重ね、コピーを練った。

言葉は、先ほどの「私の知らない父と、父の知らない私が、坂の途中ですれ違う。」というコピーを、
最後にスーパーインポーズして、そこにつなぐナレーションを
「私の記憶に、いつも後ろ姿で現れる人がいる。あの頃、あなたが口にしなかった言葉に、いつか私はたどり着くのだろうか」
と語りかけたいと思った。
ナレーションでは敢えて「父」という言葉を避けて、ラストの言葉を浮かび上がらせたかった。
ビジュアルこそ、炭鉱技師の話だが、言葉には、僕が父に対して思っていることと、一片の違いもない。
このコピーを書いたとき僕は40歳、丁度僕が物心ついた頃の父の年齢だ。
あの頃の父の考えていたこと、昔より少しはわかるようになっていると思うが、
それでも、きっと永遠に知ることはできない。
同じ坂道を歩いていても、上りながら見る光景と下りながら見る光景が違うように。
だからといって諦めてしまうのでなく、生きている限り、僕はそのたどり着けない言葉を永遠に探し続けるのだろう。
それは、男の子が亡くしてしまった父に対して思い続ける普遍的な感情ではないか、
という思いを僭越ながら抱いた。

さて、3ヶ月かけて練った企画が通るのかどうか、
今までの企画とは全く違った方法で作った企画に、僕は期待より不安を多く抱いて、
別府の手前の日出(ひじ)という町へ向かう列車に乗った。
二階堂酒造さんへのプレゼンテーションも今までとは全く違ったものだった。
もちろん他にも何案か持って行っていたのだが、
社長一人にプレゼンテーションをする。社長がしばらく黙考する。父をテーマにしたコンテを指差して、
「この企画が一番力入ってるな、これやりたいんだろ?いいね。これで行こう」。
判断は、5分とかからなかったように記憶している。
こういう社長の素早くて、的を外さない判断の積み重ねも、
あの文学的なCMのトーンを作っていくには欠かせないものなんだろうな、と感心した。

仕事で父のことをテーマにできるとは、その時まで思ってもいなかったので、
その仕事は、僕にとって、他の仕事とは、全く意味の違うものになった。
そして、「自分と向き合うこと、自分の中に何があるのかじっくり自分と対話して企画する」と思っていた僕にとって、
まさしくそれを実現できた仕事ともなった。

撮影の現場、父と息子が夕日の中を手をつないで風呂屋に向かうシーンを撮った。
僕は新興住宅地で育ったので、小さいながらも家に風呂があり、
父と洗面器を手に風呂屋に行った記憶はなかったのだが、
このシーンになぜか涙がボロボロこぼれて仕方がなかった。
撮影中に泣いたのはあとにも先にも、この一度だけだ。

オンエア後、今までに経験のない事態に遭遇した。
CMを見た人から何通もお手紙を頂いたのだ。
もちろんお手紙はクライアントである二階堂酒造さんに届くのだが、
それを見せて頂くことができた。
「父のことを思い出した」という僕と近い年の人、
「私の父も炭鉱技師をしていた」というずっと年配のご婦人。
「未成年だけど、成人して一番初めに飲むお酒を二階堂にしたい」と
言ってくれた若者もいた。
全国的な話題になるようなCMではないかもしれないが、
届く人には、確実に深く届いていることを実感できた。
当時、電子メールは十分に普及していたのに、なぜかほとんどの方が、
便箋に自分の文字で書いて来てくださったのも、嬉しかった。

あのCMを制作して10年以上が経った。
あれから二階堂のCMも何本か作り、その後大阪に戻り、
あのCMより話題になったCMにも何本か制作に携わったが、
僕をいつも引き戻すのは「大分むぎ焼酎二階堂 父」篇のCMだ。
時々、あのCMのDVDを取り出して、父と語り合う。
あと、数年で僕は父が逝った歳になろうとしている。
そして、まだたどり着けない父の言葉を探している。


2005年「砂丘の図書館」篇で朗読される詩「空のディレクターたち」全文:


ピュウ ピュウルル〜
いつまでも いつまでも
風は 吹き続けるのでした。

橡の実を運んできた 西の風も
ガラスの絨毯を広げた 東の風も
《風の操縦士》たちの手によって
それは見事に 鮮やかに
幾度も 幾度も
旋回を 続けるのでした。

ヴォン ヴォオオ〜
そして 鮮やかな茜雲が
キラキラと光り始まる時間から
せっせと 雲のグゥロウブに
柔らかい命を吹き込み続けていた
《雲の設計士》たちは
とても疲れていて
いつしか とても とても
深い眠りに落ちて行ったのです。


2009年「大地のささやき」篇で登場する字幕:


すると この螢石の廊下は
どうしても あの天回廊へ
続いてゐるやうに
思へてならないのです。

ブリーモフの瞳の中には
輝安鑛のやうな鈍い火が
しづかに しづかに
燃えてゐるのでした。